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御由緒


第12代景行天皇の御代 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)東征の時(西暦110年)、
高石(今の菅生河畔の満正寺あたり)にて矢を作り、神風にて一矢を吹き流し、その矢を
以って伊勢大神を奉祀されました。当社は、この時創建された岡崎最古の神社です。

その後、神亀2年(724年)山城国より稲荷大明神を観請。永正14年(1517年)
額田郡宮崎より牛頭天王が菅生川洪水の為、高石の地に漂着し翌15年社殿を造営する。
徳川家康公25才の時、厄除け・開運の祈願、造営せられる等、歴代岡崎城主の崇敬篤く、
城内鎮守の守護神として祈願所となっておりました。

合殿 「菅生天神社」 (菅原道真公)
  第91代伏見天王 正応2年(1289年)河内国丹南郡菅生(現在の大阪)から、
  満性寺の了専上人が岡崎の菅生に菅生天神を祀りました。
  学問の神様で、現在は本殿に合祀されています。

合殿 「東照宮」   (徳川家康公)
  第110代後光明天皇 正保2年(1645年)岡崎城主の水野忠善が、徳川家康公を
  祀りました。

菅生祭(8月第1土曜日)で行われる花火は、江戸期文化文政の時代から今も続き全国的に有名です。

菅生神社のみどころ



御祭神




開運稲荷大明神






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